第12回コラム

「半導体産業への就職のお薦め」

1978年電気工学科卒 田坂尚康

電気工学科1978年卒業の田坂です。半導体産業に従事して40年以上、その経歴を振り返り、最近日本で活気が出てきた半導体産業の動向に触れ、僅かですが学生諸君の就職活動の参考になればと思い、筆を取った次第です。

卒業後は某医療機器メーカに就職、3年間ペースメーカや人工心肺などを取り扱いました。1980年、当時本格的パソコンで有名になったPC-8001を購入、BASICでゲームソフトを組んだりして魅了されました。研究室でマイコンボードを製作実験した経験がよみがえり、コンピュータ関連の職種に就きたい強い思いで、研究室のM先生を訪ねたところ、某大手半導体メーカの中途採用募集枠に推薦を頂きました。

1981年に某大手半導体メーカに中途入社、応用技術部へ配属されました。入社面接で、これからは16/32ビットマイコンの時代、先端技術の業務に携わりたいと意気揚々と意見しましたが、配属先で4ビットマイコン担当、今更4ビットかと落胆しました。しかし担当した血圧計用4ビットマイコンは、ROM/RAMメモリー、周辺機能内蔵の1チップマイコン、1チップでシステム制御とUIができる面白さに嵌りました。マイコンのHW/SWでシステム全体を制御するので、マイコンだけでなくシステムの勉強も怠りませんでした。その後家電製品やTVやビデオ用のマイコンを担当、8/16/32ビットも扱う様になりました。

1995年にドイツに駐在、技術マーケッティング部門を担当しました。ドイツ人の部下や欧州各国の同僚と共に、欧州向け仕様のマイコンやSystem LSI開発と技術サポートを担当、ドイツ国内だけでなく欧州各国の顧客を訪ねて飛び回り、公私共に見聞を広めました。アウトバーンを時速200kmで飛ばして顧客へ駆けつけたのも懐かしい思い出です。

1999年に帰国、RISC CPUやSoC(System on Chip)の企画開発に従事した後、マイコンやSoCのソフトウエア部門を担当しました。ある年、大手家電メーカのデジタルTVに、TV SoCとソフトウエア受託開発を受注しました。翌年1月の米国での量産開始に合わせて、チーム全員でソフト開発とバグ潰しを年末年始休暇返上で行い、1月の量産ライン投入直前に何とか量産認定Goとなりました。振り返ればとんでもない働き方でしたが、ソフト開発メンバはよく頑張ってくれて、量産日程キープを目標に寝食を忘れて仕事を進められたことは、各々のスキルアップに繋がったと考えています。

2000年代後半はグラフィックプロセッサを担当しましたが、大規模SoCの開発が難しくなる中(殆どの日本の半導体メーカも)、2013年に退職、某半導体電子部品商社の技術部門に転職しました。現在は海外半導体メーカの新規開拓や、顧客への技術サポートなどを若いメンバと共に推進しています。

さて、昨今の日本の半導体産業は明るいニュースが聞こえてきます。地政学リスク回避と日本政府の巨額支援の追い風の元、2nm先端プロセスの半導体メーカRapidusが設立されました。2027年量産に向けて北海道に工場着工、IBMやIMECでの先端技術習得のため技術者が派遣されています。また台湾大手半導体メーカTSMCとPSMCが、同じく巨額支援で熊本と宮城にJASMとJSMCの工場を着工、近年中に竣工と急峻な立上げを行っています。他にも多くの半導体の工場設立が計画されています。また半導体装置や半導体材料の分野でも、日本は世界で戦える立ち位置にいます。半導体産業は、半導体メーカ、装置、材料と裾野は広く、多くの企業が連携関与しています。技術面では2nm未満の微細化プロセス、HBM(High Bandwidth Memory)のパッケージ技術、SiCやGaNのパワー半導体など、技術革新には目を見張るものがあり、これが継続していきます。

今年70歳になりますが、40年以上もの間半導体産業の実務に携わってこられらたのは、一生勉強の思いで半導体産業の進化に追従してきたこと、何事にも腐らず誠意と気概で与えられた仕事を全うしてきたことに尽きると考えています。半導体に関する様々な職種に就いたこと、海外駐在でグローバルな経験ができたことも幸運でした。進化し続ける半導体産業に生涯従事できたのは仕事冥利に尽きます。

昨今あらゆる分野へのAI実装が始まり、また車のEVシフトは産業革命と言われており、これには半導体の発展が不可欠です。半導体産業は成長し発展していく明るい未来が見えています。

学生諸君、半導体産業への就職は如何でしょうか。

 

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