アメリカの自動車電話と格闘した若い頃の話
1973年電気工学科卒業 藤原陽敏
1.はじめに
1973年(昭和48年)、卒業と同時に某無線通信機器メーカに入社した。新入社員教育の後に配属されたのが、無線機用の測定器を開発しているセクションであった。計測技術との相性が良かったのか、以後30年あまり「移動体通信用測定器」を主とする測定器の開発に携わることになる。
なかでも、携帯電話機の機能、性能を試験できる「移動機テスタ」は、携帯電話ではなく自動車電話であった黎明期を含め、第一世代(1G)から第三世代(3G)まで、多くの方式のものを開発した。目まぐるしい速さで進化する携帯電話の技術を追いかけながら、そのサービス開始の前にリリースしなければならない「移動機テスタ」の開発には苦労した。その苦労話には事欠かないが、中でも、AMPS(アンプス、Advanced Mobile Phone Service)と呼ばれる、米国の800MHz帯自動車電話用の「AMPS移動機テスタ」を開発した時のことは、最初の開発でもあり忘れることができない。この時の苦労話をしたい。
2.その頃の自動車電話
800MHz帯の自動車電話のサービスが東京23区で開始されたのが、1979年(昭和54年)12月である。その後サービスエリアも拡大していくが、まだまだVIPのもので加入者が増えるとも思えなかった。移動機(電話機)の生産量も少なく、その検査や試験は汎用の無線測定器を組み合わせればよく、専用の「移動機テスタ」の需要もなかった。
一方、米国では1977年(昭和52年)頃に800MHz帯自動車電話サービスのマーケット・トライアルがシカゴ等で行われていた。1981年(昭和56年)には、米国各地の方式がAMPSに統一され、移動機に関する仕様がEIA(米国電子工業会)標準となった。FCC(米国連邦通信委員会)は多くの都市に800MHz帯の電波を割当てたため、急速に普及すると思われた。(1)
3.「AMPS移動機テスタ」の開発を引き受ける
1982年(昭和57年)頃である。当時の私の上司は、「移動機テスタ」の需要は米国の方があると思っていたのであろう、ある日、AMPS移動機の仕様書(英文)を渡しながら「AMPSの移動機テスタをやらないか」と言ってきた。
当時の私には、自動車電話を含む移動電話の方式や無線機規格の測定法などの知識は全くなく、ましてや、米国のAMPS方式については名前を聞いたこともなかった。その時、「無理なら頼まないけどね」と上司が言ったかどうかは覚えていないが、無理だろうと思っている雰囲気だったのは確かである。
この時の状況は、夏目漱石の「坊っちゃん」だと後になって思った。主人公が同級生の一人に「いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい、弱虫やーい。」と囃され、学校の二階から飛び降りるくだりである。断わることで「やはり、あいつでは無理だな」と思われるのが嫌だったのか、プライドが働いたのか、後のことは考えず「分りました。やります。」と言ってしまったのである。エンジニアとしても、人間としても、まだ青かった。
4.基地局の動作理解が難航
AMPS移動機の電話機としての機能(電話をかける、通話をする、等)を試験するためには「AMPS移動機テスタ」はAMPSの基地局にならねばならない。これにはもう一つの理由がある。移動機の送信電力や周波数などの性能を測定する場合、電話を掛けて通話状態にしないと移動機は電波を送信(2)しないからである。従って「AMPS移動機テスタ」の開発では、無線機の測定器に加えてAMPS基地局も開発する必要があった。
AMPS基地局の開発には実際の基地局の動作理解が必要なのは言うまでもない。そこで、AMPS移動機の仕様書を理解するところから始めた。移動機の仕様(動作)から逆に基地局の動作を理解しようとしたのである。インターネットの無い時代である。参考となるのは、IEEEやベル研の論文程度であるが、もちろん英文。苦手な英語と格闘しつつ頑張ったが、一番困ったのは、自分の理解が正しいかどうか社内でレビューしてくれる人がいなかったことである。分からないところ、確信の持てないところが溜まっていく一方で遅々として進まなかった。
これでは駄目だと思い、試験や測定のために移動機を必要な状態にするツールが必要なのであって、実際の基地局と同じものが必要なのではない、と考え方を変えることにした。これにより、現実には存在しない基地局であろうとも移動機が決められた動作をすればよい、ということになり、開発がずいぶんと楽になった。これでも確信の持てないところが残ったが、推測で進め、後に移動機の動作を見て決定する事とした。
移動機の性能を測定する部分においても、いくつか問題が発生したが、これには相談できる人も多く、苦労はしたものの解決することができ、なんとか試作機を完成させることができた。
5.自動車電話のベルが鳴り、繋がった!
AMPSの移動機(電話機)を米国で購入して貰い、ハードウェアの調整とソフトウェアのデバッグを始めた。案の定、移動機が基地局の電波を補足し電話機として使える準備ができた状態である「待受け」(今の携帯ではアンテナマークや4Gなどの表示が出る状態)にならなかった。移動機がAMPSの仕様書どおりに作られていないのでは、仕様書が変更されているのでは、挙句には間違っているのではと不遜な考えも抱いた。とにかく不安で一杯であった。
ソフトウェアのバグが見つかり、移動機が信号を認識し少しずつ動作し始めるにつれ、不安が徐々に解消されていった。結局、移動機も仕様書も正しくて間違ってはいなかった。元西武ライオンズの松坂大輔投手は「自信が確信に変わった」と言ったが、その時の私は「不安が確信に変わった」であった。
移動機から電話をかけること(移動機発呼)より、移動機に電話を掛ける(移動機着呼)ことの方が手順はやや面倒である。移動機着呼がとおり、自動車電話機のベルが鳴り、ハンドセットを取って通話ができたときは、言葉に出来ないほど嬉しく、一人で成し遂げたという震えるような達成感にしばらく浸ったものであ。「やろう」と決めてから1年程の時間が経過していたと思う。
6.アメリカ、カナダへ出張
開発が終わって暫くしてから、アメリカ、カナダへ出張することになった。「AMPS移動機テスタ」のキャンペーンのためである。現地の商社やニューヨークの支店がアテンドしてくれるとは言え、英会話には全く自信がなく不安だったが、人生で初めての海外という喜びもあった。
カナダでは、カルガリーにあるAMPS移動機の製造会社を訪ね、持参した「AMPS移動機テスタ」のデモと客先とのディスカッションを行った。わざわざ日本から開発した技術者が来てくれたと歓待してくれ、出発前の不安が吹き飛んだ。
その後である。同行した商社員がバンフ国立公園までドライブしようと言い出した。断る理由もなく、商社員が運転するレンタカーに乗り込みバンフに向かった。追い越す車も、すれ違う車もなく、どこまでも真っすぐに続く高速道路の先、地平線のかなたに白い雪を戴くカナディアンロッキーを見たときの感動は今でも忘れない。
7.その後の開発
「AMPS移動機テスタ」の開発で自信をつけたことも手伝って、このハードウェアをプラットフォームとして、多くの異なる方式の「移動機テスタ」を開発しシリーズ化した。英国の方式(TACS、ETACS)、北欧の方式(NMT)、日本の大容量方式(HICAP)、などである。
この頃から、日本の通信業界、特に、携帯電話の業界は激動の時代に突入していく。携帯電話加入者数の増加に伴ない、保守・サービス用の「移動機テスタ」需要が喚起され、各キャリア向けの様々なバリエーションのものを開発することになる。
携帯電話方式の技術は、1993年(平成5年)には第二世代(2G、PDC方式)、2001年(平成13年)には第三世代(3G、W-CDMA方式)と進化し、高度なものになっていく。「移動機テスタ」もその進化を追いかけねばならず、「AMPS移動機テスタ」の様に、頑張れば一人でも開発できるというのは遠い昔の話になってしまった。
8.おわりに
「苦労話をする」と冒頭に書いたが、私の若い頃の「成功体験」であるともいえる。この体験は、そこで学んだ知識、ノウハウもさることながら“技術的な困難は克服できる。”という自信が持てたことの方が大きかった筈である。
その後、能力以上の挑戦をし、言語に絶する(大袈裟だが渦中にはそう感ずる)苦境に陥ることが多々あった。その苦境を乗り越えた事も、乗り越えられず涙を飲んだこともあるが、半世紀近くエンジニアを続けてこれたのは、今思えば、「AMPS移動機テスタ」開発の経験が支えの一つになっていたのは間違いないと思っている。
日本の凋落、地盤沈下が叫ばれている。申し訳ないが、若い人たちに頑張って貰わないといけない。そのためには若い人たちを叱咤激励するばかりでなく、Small Success で良いから成功体験をさせ、そして、「褒めてやる」ことが重要と考える。
昔のエンジニアは職人に近かった。「やっとここまで出来たか、この程度は出来て当然。」と、自分の威厳を保つ方法だと思っていたのか褒めないのである。「そんなことはない。俺はきちんと評価してきたぞ。褒めたり、なだめたり。」という諸氏には申し訳ない。私の経験を含めた感想である。何れにせよ「叱るより褒めた方が良い」というのはスポーツの世界では立証されているようである。
拙文に目をとめて頂き、ありがとうございました。
湖鳥会の発展と会員の皆様のご健勝を祈念します。
(1) NTT DoCoMo テクニカル・ジャーナル Vol.3 No.2
(2) 当時の自動車電話には、工場での検査などのための試験インタフェースがあり、ツールを使って移動機の送・受信を行わせることができた。しかし、この試験インタフェースはコネクタを含めメーカ独自で統一されておらず、試験インタフェースを使わない性能測定方式は「AMPS移動機テスタ」の特長でもあった。