日本流グローバル化
1971年 電気工学科卒 野津雄一
10月下旬、鳥取から松江まで、特急「おき」で移動しました。泡立つように広がるセイタカアワダチソウをあちこちに見ました。ずいぶん増えたなーという印象です。また、安来の駅ホーム横に「プロテリアル安来工場」という見慣れない看板を見ました。社長はショーン・スタックさん。前は日立金属安来工場でした。「グローバル化」とはこういうことか、と妙に納得してしまいました。
私が仕事に就いた頃(1971年)の仕事は、内航船舶電話という自動交換式の移動電話装置の開発・設計でした。その後、移動電話はすさまじい進化を遂げ、今やスマートフォンと呼ばれる驚くべき超小型・超高機能の神道具に進化しました。これもグローバル化の成果と言ってよいと思います。国内の競争だけではこのような劇的な進化は起こらなかったでしょう。
その進化の一方で、現在では日本にはスマートフォンを作るメーカーはほとんど無くなってしまいました。1990年代、国内に10社以上の携帯電話メーカーがあって、世界の先頭を競っていました。不夜城になった開発現場。あの競争は何だったのだろうといま思います。
グローバル化は日本の産業や文化までも侵食してゆくのでしょうか。グローバル化の中で、中国、韓国の片隅でこのまま存在感を失っていくのでしょうか・・・・・。
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セイタカアワダチソウの野が増えていく一方で、機械の入らない田圃の隅で、今でも手で植え、手で刈るという面倒なことを続けている農家の方たちがいます。コンバインでは生育状況の手応えは感じられないのだとか。五感を使った手触り感が大切なのだそうです。こういう人たちのおかげで日本のおいしいコメが作られつづけています。
プロテリアル安来工場で生産されるヤスキハガネは、古代たたら製鉄の伝統を受け継ぐハガネで、和包丁などの刃物鋼として高い評価を受けています。包丁専門店にはたくさんの海外からの客が来ている様子がよくテレビで放送されます。
スマートフォンのメーカは日本にはほとんどなくなりましたが、スマートフォン用の部品の多くが日本メーカーから提供されています。
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表層では停滞しているように見える日本ですが、底辺に潜っていけば日本の強さが見えてきます。海外勢が、できるだけ寡占化して競争力を高めるのに対して、たくさんの中小規模で支える日本。それが日本の風土から生まれた姿であるような気がします。規模の拡大が求められるグローバル化の過程で、日本の強さを統合できず、日本の風土を忘れた西欧化に進もうとしてうまく対応できていないということかもしれません。
民俗学者、宮本常一さんの「忘れられた日本人」に村の寄り合いの話が出てきます。ものごとを決めるのに、何夜にもわたって話し合いが続いたのち、頃合いに、意見の違いも含んだまま、みなが納得して結論が出る。多数決で先を急ぐということはしない。論理があるわけではなく、空気で決まる<山本七平>。和を重んじ、長く続くこと重視したやり方です。
ここに戻るのは正しくはないと思いますが、和魂洋才、西洋の知恵を日本流にアレンジして取り入れて進化してきた日本です。成長が鈍化し、持続性を大切にすることが世界で求められはじめています。グローバル化もコピー型や追随型で先を急ぐのではなく、「日本流のグローバル化」とは、に答えをだしていかないといけない時なのかもしれません。
世界はますます混迷の度を高めています。この奔流のなかで、日本らしい強い底辺にアンカーを打って、奔流に流されてしまわないように自己を見つめ、グローバル化に独自の対応ができる国に進化しなければならないと思います。