足を骨折し入院した話
1972年(昭和47年)電子工学科卒一期生 豆田順一
鳥大卒業後、半世紀50年が経ちました。入社した半導体の会社では絵に描いた様な猛烈社員で設計業務に携わっていた時代は月100時間超の残業は当たり前の生活でした。そんな毎日が忙しい中、「なんとなく、クリスタル」でデビューした小説家で元長野県知事の田中康夫氏が噂の真相というマイナーな雑誌に連載していた数行日記風のコラムを見つけ、こう言うのも良いなと思ってました。その後、雑誌で10年日記、1日数行分の横書き欄が縦方向に10欄・10年分が365日分有る、を見つけこれだと購入。切りよく1994年1月1日から書き始め2冊分20年間続けましたが、21年目からは分量・管理に融通が利くPC上のエクセルに移し今年で28年目になります。
こんな下地があるので、家族旅行、海外出張等に出かけると現地での行動や出来事を書き留める様になっていました。そんな中、60歳を過ぎた2011年9月に人生で初めて足の骨を折り、入院・手術の経験をしました。その一部始終の内、さわりの数日分を披露します。尚当時私は半導体の販売会社を退職し代理店の技術営業職でお世話になっていました。
初日:2011年9月28日水曜
プロローグ
明日の顧客でのプレゼンの資料がまだ出来ていない。9時半過ぎに東京駅近くに事務所がある我々の営業窓口のAさんをアポなし訪問。見せて貰った資料は分量、内容共にまずいと思う。一旦自分の事務所に戻り、自分なりに見直したものを15時に持込み、9階の喫茶で打合せ。実際はAさんも事業部に再検討を依頼しているため、このシナリオを受け入れて貰うのは難しそうと感じる。どのみち今日中には完成しないとの判断と自分の事務所に帰っても緊急なのはこれ以外に無いので帰宅しようと思い東京駅に向かう。これが事の始まり。
15時30分
エレベータでビルの1階に降りる。
なんとなく外・地表に出るのは嫌な気がして地下1階への階段を下り、更に東京駅に向かう地下2階への階段を下りる。真ん中を過ぎた辺りで、足が滑る?あっと思った時は右の足先がマイナス120度の位置に見える。やばい。手すりを持った?痛い。足が突けない。折れた?下から上がってきた頭のやや薄い丸顔の男性が声をかけてくれる。「大丈夫ですか?」。肩を借りて、いったん階段下に降りて併設されている上りエスカレータ横に立つ。病院に行かなくてはと思ったが、ビルの3階の診療所しか思いつかない。誰かに助けをと思い、ビル内の友人に電話するも不在。さっきまで打合せをしていたAさんへ電話。事情を話して現場に来て貰う。一緒に降りてきたAさんの同僚と二人に両肩を支えて貰いエスカレータで地下1階へ。エスカレータ前にあるビルの案内受付が大騒ぎに。救急車を呼ぶべきとの結論で連絡を入れて貰う。この時、警察にも連絡した様子。救急隊が来て、添え木で応急処置。車いすではなくストレッチャで移動。普段見たこともないところにあった業務用エレベータ?で1階へ。救急車に乗せられるが、ここからが長かった。受け入れ可能な病院を東京駅周辺の神田付近から順に当ってくれるも連続5件が受け入れ不可。東京都の条例で20分以上受入れの病院が見つからない場合取りあえず処置だけの為に当番の病院へ搬入し、入院先はそこからまた探すとのこと。ここでもG病院とあそことここがそうなっている居ないとの救急隊員と病院とのやりとりが水掛け論風で行先がなかなか決まらないなか、6番目に品川のS病院が受け入れOKとなりやっと搬送が始まる。場所は品川駅の真北。ゆっくり走って20分で到着。病院ではすぐレントゲンで2か所の骨折を確認。先生から家に帰る?帰らない?の問いかけ。自宅のある群馬県高崎(当時は高崎から東京神田まで毎日新幹線通勤していた}で入院したいのでタクシーででも帰りたい心境で一時は帰ると言ったが、次の日の高崎での入院先探しがほとんどゼロからで、朝に事情を話して救急車を呼んで病院に押し掛けるのが良いなどとアドバイスをするので、そんな根性はさらさらなく悩んだ末に入院・手術をお願いすることにした。決めると話は早く、空いてる個室に搬入された。そこでズボンとステテコを脱ぐことに。少しでも動かすと痛くて右足がコキコキいうなか両方を脱がされ、更に折れた骨をまっすぐにすると言って右足を思いっきり引っ張られる。あまりの痛さに渾身のギャーーーっと声。尚行き掛かり上、個室になったが、それにしても1日18900円は高級ホテル並み。
9月29日木曜 必死の用便 足がコキコキ
足は動かさなければ我慢できる痛さで夜もまずまず寝れた。少しずらそうとしたりすると、コキコキと鳴るような音を感じて気持ちが悪い。そんななか、朝に通常の便意がして看護師に頼むと、普通はベッド上でおむつでやるとのこと。おむつはしてないし、買ってきても無いのでおまるはあるかというと、ゴムで出来た浮き輪の様なものにビニール袋をかぶし真ん中にティシュを数枚敷いたものを持って来て、これで一人でやれという。左かかとを支点に両腕を突っ張って腰を浮かしお尻をそこに移動させ何とか用を済ませ看護師を呼ぶと、ちょっと待て、お尻も自分で拭けとのこと。今度は左足かかとと右腕だけで身体を支え、腰を浮かしたまま左手でお尻を拭く。3回拭くだけで大汗はかくし動悸も早くなる、右足は不安定でコキコキ言うで、必死の作業を完遂。2度とやりたくないと思う。妻が着替えや頼んでおいた生活小物を持って来院。入院手続きの書類の保証人サインをして貰って提出。これでまずオフィシャルに入院が成立。会社の総務が来てくれる。帰宅途中の事故なので労災を申請準備中とか。状況を説明。看護師に身体を拭いて貰う。全身を蒸しタオルで拭いた後、ベッド上に運ばれたミニプールの様な中に腰を入れ、「下」も洗ってくれる。更に、洗髪も。この時は毎週火木土にやって貰えると聞いたが、次回以降拭いてくれるのは脚先と背中に落ち着く。そうだよね。
9月30日金曜 手術 BGMアリラン&キャロルキング風
夕方予定の手術が昼前に早まりそうとの連絡を受け、11時半位からストレッャに乗って移動。手術室はドラマDr.Houseのイメージで丸い複眼ライトが印象的。室内にはBGMが流れており、入った時はBeatles、次にアリラン、更にキャロルキング風のイージリスニングがかかっていた。執刀医と助手の女性が二人。麻酔は脊髄からの下半身麻酔。ちょっと痛い。事前準備が30分くらいで終わり、本番が始まった辺りで寝る。事前に先生から、起きていると手術をやっている音や触っている感触が判るので、手術中は寝てた方が良いとのアドバイスだったのでそうお願いした。「終わりました」の声で目覚める。14時15分。3時間以上が経過していた。今日は朝から何も食べてないがあまり空腹感は無い。夕方、妻と息子が来院。追加のTシャツ等持って。そのままあっという間に夜。麻酔が徐々に切れ始め太もも、膝に感覚が戻ってくると傷口辺りが痛くなる。先生は早めに痛み止めを貰った方が良いと言ってたがタイミングが判らず、鎮痛剤入りの点滴をやって貰うも少し遅かったみたい。座薬ですこし収まったが、その座薬がきれるとまた痛くなる。座薬を使える間隔は8時間とかで、次の薬を使えるまでは我慢して貰うしか無いと言われる。結局0時―2時位が最痛の時間帯で寝れなかったが、その後は睡魔に負けて朝になる。
10月1日土曜 車イスでトイレ ラモスが覗く
朝一でやっと尿管を取ってもらう。これがまた痛い。看護師は豆田さんにはちょっと太すぎたみたいねと。若者用を使った?結局、この後丸3日間小用時の痛みが抜けなかった。朝食後、看護師付きの車いすで初トイレに。本来は今日からリハビリ開始で車いすや松葉つえの使い方から始めるとの事だったが今日は土曜なのでリハビリが週明けの月曜からになったためぶっつけ本番で使用。でも行けた。但し、洋式便器のところでは右足を前に置いた椅子にあげたままで用を足す。11時半位にドアをノックする音がありカーテンの横からTVで見た顔がでる。「あっ間違えました。」「あれ、ラモスさんですよね。」「そうです。」「サッカー選手のどなたかが入院されているのですか?」「いいえ。身内が以前この部屋に入院していたので、その見舞いです。」「そうですか。お大事に。」「いいえ。そちらこそお大事に。」「ありがとうございます。」なんて言う普通の会話をする。家族にメールすると、なんで写メを取らなかったんだと非難される。昼間に脱水対策で生理食塩水を点滴。
10月3日月曜 初めて傷口を見る&リハビリ開始
朝食後。車いすでトイレへ。前回より更に楽。8時50分を待って保険屋へ電話。事由の受付と申請書の会社への送付を依頼する。9時過ぎに傷口の検査とガーゼの交換。初めて傷口をみる。外側は良く見えなかったが内側は20センチ位の縫い跡が見えた。まったくブラックジャックの様。11時から初めてのリハビリ。車いすで2階のリハビリ室へ行き、松葉つえの練習。数mを3往復しただけで汗がうっすら。でも普段鍛えていた事が活きる。鉄アレイもあるので、上半身は何とか出来そう。問題は下半身。帰りに筋トレ用のゴムバンドを借りる。今日は30分ほどで終わってまたトイレに。もう気軽に行ける。午後、主治医の先生が来訪。傷は順調な方。退院は2カ月後の様な言葉の感触。14時に娘が洗濯物を持って来てくれる。補償金の支払い、パンツの収納、ハンドタオルの水付け等を頼む。携帯ストラップ用の沖縄土産のお守りを貰う。15時半、副社長他が来院。総務持参の労災申請の書類にサイン。差額ベッド料は1週間1万円まででそれ以上は自己負担。入院費用、差額ベッド、手術費でどのくらいになるか見当もつかない。19時半過ぎに突然ラモスさんがまたカーテンから顔を出す。びっくり。身内が移った部屋は隣の隣なので通り道。見舞いの帰りに先日間違ってゴメンとの挨拶。先日までこの部屋に入院されていて自分が入る少し前に部屋を移ったとか、あと1週間位で退院とかと会話。また寄ると言って帰って行った。早速、家族にメール。またなんで写メを取らなかったとの大合唱。PS:この後も2度、仕事で行った広島や大阪の土産のお菓子を持って寄ってくれた。すごく良い人でした。
10月4日火曜
朝食後、トイレ。車いすも少し自分で動かす。
今日から原則9時半よりリハビリ。まず、包帯を取った裸のままで脚の指先のマッサージと足裏マッサージ。足首を前後に動かす動作を10分。-5度までしか手前に倒せず。20度が標準とか。次に指先で床に敷いたタオルを握って引っ張る動作を5分。これが出来ない。左足での動作を見ると、足の甲も使っているのでやっぱ無理。外反母趾の場合は更に難しくなるとの事。最後に松葉つえの練習。立ち上がっての歩き始め、終わっての座り込み時のバランスが悪い。慣れるしか無し。20-30mをトライ。結構疲れる。50分のコース。部屋に戻ると身体拭きタイム。下着、ガウンも着替える。さっぱり。昼食後初めて読みかけの文庫本を1時間ほど読む。少し休憩、仮眠。メール。
この後リハビリの入院生活は2ケ月半に渡り、12月中旬に退院。1年後に金属プレートの摘出手術を経て現在に至ります。今も手術痕は残っていますが、お陰様で日常生活には全く支障なく、気の知れた友人達と親睦ゴルフも楽しんでいます。
コロナ騒ぎは当初誰も想定してなかった第7波を数えていますが、知恵を絞って上手く付き合っていくしかないですね。今後とも湖鳥会の発展と会員の皆様のご健勝を祈念しております。